大好きだった浅草からまた一つ何かが消えました。歴史なのか名物なのか景色なのか、、、とにかく俺の中で何かが消えたのは事実。
浅草の一角にとある有名な女性がいました。多くは「チェリーさん」と呼ばれていました。わかる経歴と言えば「若い頃は浅草ピンサロのナンバーワン嬢」だったって事くらい。彼女は街に立ち客を取るいわば「たちんぼ」でした。
年齢も70代なのか80代なのか不明、頭に100円ショップのティアラを着けていたり寒い日にはリラックマのブランケットを羽織り小さい小さい身体で毎日同じ場所にいました。去年年末前辺りから姿を見なくなり心なしか心配していましたが2012年年末帰らぬ人となったようです。
行き倒れとも強盗に襲われ怪我をしたとも言われていますが真相は解りません。去年10月に取り壊しが決まり今は無きポルノ映画館で客を取っていたらしいが映画館も無くなり彼女の中でも何かが消えて行きもしかしたら一つ区切りがついたのかもしれないと思ったり、、、毎朝浅草寺へお参りしてる彼女をほぼ毎日仲見世を下ってくる彼女とすれ違うたびに「あぁ今日も元気だ」「今日は機嫌が悪そうだ」とか仏像の前で大声で泣いて拝んでる彼女を見た時は「なにかあったのかな」とか妙に心配したり、、、それが普通の俺の浅草でした。ずっと一度話したいと思ってていつかお茶でももって話に行こうと思っていた矢先だったので亡くなった事を知った今日久しぶりに人の為に泣きました。なぜだか解りませんが自然と涙が出て来て、何となく安心した気持ち寂しい気持ち悲しい気持ちで溢れました。
写真家・鬼海弘雄さんが浅草に行く度に彼女を撮影していてとてもいい写真なので一部掲載します。
こころよりご冥福をお祈りします
たぶん亡くなられた冬の深夜に初めて会いました。会ったと言うより見かけたと言うべきかも。
返信削除その時は黒い小さな塊がシャッター脇にあるくらいの認識でしたが、よくよく見れば寒さでダンゴ虫が丸まっているかのような人間でした。あまりにも小さな体型なので、まさか子供かとビックリした記憶が鮮明に残っています。深夜で真冬の浅草は人通りもまばらで本当に寒かったです。防寒着の自分が震えて歩く側で、冷たい歩道のタイルに段ボールもひかずに丸まっているのは死んでいるのか?とも思い軽く体をゆさぶって確かめました。微かに反応が合ったのでホッとした思い出があります。
すかさず何か温かい物でもと思い、都合良く直ぐ側にあったコンビニでオデンやホッカイロ等を提供しました。上体を起こして喜んで食べてくれると思いきや、考えて見れば寒さで意識も体の感覚もはっきりしてなかったんでしょう、蚊の鳴くような声でフンフンと応えるばかりで薄目で自分をぼんやり眺めていました。それが後々分かったチェリーさんでした。
直ぐにそれがホームレスのお婆さんだと分かり、尚更心配で何度も何度も体を揺すり温かい内に食べてくれと促しました。彼女からすれば執拗な自分の干渉が血の巡りを良くさせたのか、煩い奴が離れないから頭に血がのぼったのかゆっくり上体を起こしてくれました。
再度温かい内に食べてと促したけど食べてくれませんでした。ただ、「おおきに」って応えてくれました。え?関西の人?なんか辛くなってきて、このまま寝かせてあげたほうが良いのかもと思い、買ってきた数個のホッカイロを揉んでそっと懐に入れた思い出があります。
帰宅しても彼女の事が頭から離れず心配でしょうがなく、次の土曜の夜に浅草に探しに行きました。前日とおんなじ珈琲館のシャッター前で丸く小さく寝ている姿に何故か安堵した記憶があります。
それから何度か温かい食べ物を差し入れに浅草まで行ったのですが、多分亡くなられた後だったんでしょう雷門通りのいつもの場所に姿はありませんでした。あてもなくアーケードや近場を探して見ましたが、なんとなく亡くなったのかなって途中であきらめながら項垂れて帰宅しました。
ネットで何か情報が無いかと後々探して、彼女がチェリーさんだと分かりました。本名でなくても通称の名前が分かっただけでも彼女に手を合わせ語り掛けることも出来るようになって嬉しく思っています。
いろんな方々がチェリーさんの死を寂しく思われているくらい人気者だった事も知ることが出来て良かったです。
壮絶な人生だったぶん、今は暖かい場所でゆっくりおやすみください。